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last updated 1997/07/03

第49話(全130話)

あれは何? これは何?(5/5)




〈良いこととか悪いこととか、そういう問題じゃないんだよ、ピート。肉食の動物がいて、捕
食動物がいて、それで世界はバランスを取ってるんじゃないか。ふたつの命のぶつかり合いに
、よそから口を出すことなんて誰にもできないはずだよ〉
〈でも〉
 ピートは言う。
〈じゃあどうしてマリカは君を助けたの? マリカだってふたつの命のぶつかり合いに割って
入ったじゃないか〉
〈マリカはね、ぼくとあのドラテロの赤ちゃんの両方を助けたんだよ。ふたつの命を助けるた
めに、割って入ってくれたんだ。どっかをやっつけるためなんかじゃないよ〉
〈え?〉
〈ドラテロの赤ちゃんはね、卵から孵ったばかりだから、最初に目にした動くものを自分の親
だと思ったんだ。そういう習性なんだよ。たまたまその時、赤ちゃんの目の前にしたのがぼく
だった。だから赤ちゃんはぼくを親だと思ってお乳をくわえようとした。それだけだよ。それ
がわかったから、マリカはぼくと赤ちゃんとを引き離したんだ。もしあのまま赤ちゃんに食い
つかれたままだったら、ぼくは助からなかっただろうし、赤ちゃんのほうだってお乳を飲めな
いまま衰弱して死んでたかもしれない。だから、マリカはああすることで、ぼくとドラテロの
赤ちゃんの両方を助けたんだよ〉
〈・・〉
 ふたつの命を救うためだから、敢えて戦いに割って入ったマリカ。
 でも、ぼくはただチイジイをやっつけるためだけに、命の闘争に首を突っ込んだ。
 そういうことなの?
 チイジイの命とワーターの命の、どちらを助けるの? マリカはピートにそう尋ねたのだっ
た。ピートは思い出す。心情的にはワーターを助けたい。でも、そうすることでチイジイの命
を危険にさらすことになるのなら、下手に手を出すことはできない。命の重さに変わりはない
のだから、どちらかの命に加担することなどできるわけがない。どちらの命がより大切だ、な
どと選択する権限なんて誰にもない。選択するのは運命だけだ。命が本来持っている運命だけ
が、どちらかに加担することを許される。ワーターとチイジイはあの時、運命に身を任せてい
たんだ。運命を味方に引き入れようと、ふたつの命は必死にもがき、争っていた。
 ピートは打ちのめされたように、マリカへと目を向ける。
 マリカもピートのほうに顔を向けていた。その目にはもう怒りではなく、どちらかと言えば
悲しみに近い色に染まっていた。
「回路不良だね、マスター」
 それだけ言って、マリカはワーターの背に飛び乗った。自分を見殺しにしようとしていたこ
となどまるで気にするふうもなく、ワーターはひとつ大きな欠伸をしていた。もちろん命を救
ってくれたピートに感謝している様子もない。ワーターを助けたのは運命なのだ。ワーターは
そう思っているはずだ。自分の命がまだ死を迎える時じゃないと判断したから、自分の命は助
かったのだ。ワーターはそう思っているようだった。
 ピートは川を振り返った。
 川のどこかにチイジイがいるのだろう。せっかくの獲物に逃げられてしまった、お腹をすか
せたチイジイが。もしかしたらチイジイにも赤ちゃんがいたかもしれない。チイジイはひもじ
いと言って泣く子供のために、必死にワーターを水中へ引き込もうとしていたのかもしれない
。もしチイジイがぼくの仲間だったら、ぼくは「正義の味方」の顔をして、喜んでワーターを
やっつけ、その肉をチイジイの可愛い赤ちゃんに与えていたんだろう。
 ピートは思いタメ息をつく。
 正義なんて、ただ立場の問題でしかないんだ。なのに、それを掲げて命の戦いの場に割って
入ったりなんかするべきじゃない。マリカは両方の命を助けるためにフィンフィンを救出し、
両方の命を思いやって、ワーターを助けなかった。それが唯一の「正義」なのかもしれない。
命を守ること。それだけが正義の掟なんだ。どちらかの命を、とか誰それの命を、ではない。
命を等しく愛そうとすれば、仲間を見殺しにするような苦渋の立場に置かれる覚悟をしておか
なければならない、ということなんだ。
 ピートはそれを理解した。けれどそれは頭で理屈として理解しただけで、心のほうはやっぱ
り、ワーターを助けられてよかった、というほうに大きく傾いていた。
 ピートの暮らす世界では「仲間を助ける」のが正義だったし、他に正義の定義なんて何もな
かった。
 ぼくは違う世界の中に紛れ込んだんだ。
 ピートはいままでよりも、ずっと深いところで、それを思い知った。

(つづく)




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